先日、ランチである定食屋に入りました。その店では、ご飯と味噌汁は、食べ放題です。
そこで、私が来た時すでにドンブリ2杯目じゃないかという状況の、可愛らしい女性がいました。その女性、必ずと言っていいくらいに、定食屋にいます。もしや毎日来てる?だとしたらこのランチだけで一日を済ませようとしているのか?と心配になります。
同じように何度もお代わりして、その都度ドンブリ大盛りです。今回、たまたま横の席になったので、脇目に観察していました。さすがに写真を撮る勇気は持てませんでした。
ここで、私自身がたらふく食べていた時の記憶が蘇ってきました。
自虐思想の暗黒時代
練馬の自衛官時代、朝食はバイキングで《パンorご飯》と決まっていましたが、私は両方食べていました。朝食の準備ができた時点ですぐに食べれるよう、並んでいました。しかし食べ終えて帰るのは、時間ギリギリくらい・・・。ご飯にキムチ・卵・納豆・海苔・・・・、先輩らに当初「お前全部食べるんだな?」と確認され、「よっしースペシャル」なんて名付けられていました。
自衛官を辞めてからも、近くのサンドイッチ屋さんから耳パンもらったり半額弁当を2つ(売れ残りですから同メニューが多かったです)等、栄養を一切気にせず満腹感だけを追求していました。今思えば暗黒時代の一因は、かなり大きかっただろうと見なしています。
紙一枚持っただけでぎっくり腰になったのをはじめ、病名診断こそされない不可解な症状に悩まされていました。自身の無価値感や自殺願望、ありとあらゆるメンタル的疾患は、とめどもなく溢れ出てきていました(だからこそ、コリリンテーブルを発見できました)。
満たされなかった愛情
当時の私は、感謝できない事に、すごく悩んでいました。妬みや恨み価値観の強要ばかりで、たとえ周囲から認められても、「孤独」「孤立」どちらかの気持ちが大半を占めていました。人生を虚しく終えたかのようにあきらめ、愛情が完全に枯渇しており、まさに餓えていました。
だからこそ、どうにかして満たそうとします。食事による満腹感は、愛情の満腹感を擬似的・刹那的に味わえます。そんな麻痺状態の時期が、かなり長期に亘っていました。
若い頃から、「胃下垂ですね」と診断されていました。だからと言って、全く問題を感じない麻痺状態です。問題意識がなければ、解決しようと本気には向き合えません。まさかこんなカラクリになっていたとは、考えてもいませんでした。
胃下垂がどう問題なのか?それは、胃が下がった状況にあるんですから、本来あるべき状態ではありません。それでも体は、バランスを保とうとします。不自然な状況で不具合が起こり始めると、どこかにしわ寄せが起きます。私の場合、分かりやすく表面化した症状は、オナラの臭いでした。極力悟られないよう配慮していましたが、問題視していても原因が分からず、どうにもできませんでした。
まずは現状把握
多くのお客様方に、施術を受けてすごく喜んでいただけている一要因に、【立ち位置が明確になった事】が挙げられます。言葉を変えれば、「動機の深掘り」です。
なぜ?
何のために?
を深堀りする中に、あなたが本当に見出したかった「完成予想図」が、自然と浮き彫り化されてきます。
あなたの体は、その答えを知っています。なぜなら、あなたの最高・最適なパートナーだから。あなたの体は、あなたの一生涯永遠の応援団長です。
定食屋を出ようとした時、彼女は何とドンブリ4杯目(もちろん大盛り)!驚愕のあまり、目を疑いました。
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