責任~自衛官時代に学んだ事

こんばんは(^○^)

体の声から天命に気づき、新たな人生を切り拓く自立整体セラピスト吉永です。

 

今日いらしたご夫妻は、真剣に自分と向き合い「ずいぶんと成長したな(*^。^*)」って、すごく嬉しいです(((o(*゚▽゚*)o)))


結果的に、結婚式の仲人みたくなっちゃいました。この2人の幸福感には責任を感じています。

 

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振り返ってみて、改めて自分の過去を認めきれました。

感謝の思いが・・・・・・・・・・・・。

まだまだ発展途上です。これからさらに精進を重ねていきます。

 

 

逃げてばかりだった・・・

 

とにかく批判が大好きで人を妬み、自分を蔑んでばかりの、どうしようもないヤツでした((+_+))

今、韓国船の沈没事件で騒がれていますね。当時の私も五十歩百歩で、批判できる身分じゃないと考えています。どうにかして逃れる手段はないものかと、八方ふさがりな状況下でさまよい続けてました。


そんな私が自分を好きになれるはずもなく、まさに【悪のスパイラル】にハマってました。そんな割に口だけは達者で、えらそうな物言いだった事を、恥ずかしく感じています。

 

 

 

武器庫管理と委託保管銃

 

転機は、司令部を9カ月で追い出され、元いた部隊の本部に配属されてからです。そこでは、武器庫の管理を任されました。

武器庫には銃をはじめ多くの重要物が入れられていました。

「万が一」という事件が絶対にあってはならず、起こり得る可能性をしらみつぶしに排除していきました。

 

その辺りから、「委託保管銃の管理換」という問題が浮かび上がってきてました。委託保管銃とは、有事の際の予備自衛官のために、土浦の補給処にある銃です。その時、64式から89式に変わるため、陸上から海上自衛隊に移籍される事になっていました。


問題は、「どうしても数が合わない」

銃も当部隊は少なく(1520丁のはずが、1500しかない・・・)、

ある部隊は多い・・・。そんな箇所がちらほら(・_;)

現物があるわけじゃないので、どうしても実感持ちにくい・・・。


加えて当部隊に関しては、付属品がメチャメチャ少ない(~_~メ)

武器庫内に古びた大きな箱がたくさんありましたが、まさかそれがその付属品だったなんて、まったく知りませんでした。


付属品に関しても、つまようじみたいな小さなものから、弾倉や銃口通しみたいな大きなものまでたくさんあります。それらを何セットあるのか、朝から残業して1人で数え続けた日々。 


なぜ問題が起こってしまったのか、過去の担当者に訊きながらさかのぼっていきました。10年以上前の話ですから、当時の担当者も覚えておらず、煙に撒かれたような感覚でした。 

 

平成8年3月29日が、その管理換(移籍)の当日。

なんとか無事に終え、安堵感に包まれました。

直前に、部隊総じて手伝ってもらえましたが、大半が私一人で向き合うしかありませんでした。事の重大さを理解してもらえず、忍耐を学びました。

 

 

検査官

 

本部要員とは、大隊長の代行機関です。

もし私が過ちを犯しても、すべて大隊長が責任を負わなければなりません。私が配属されたその年は、大規模な検査がありました。部隊改編された事もあり、従来とはやり方が大幅に変わっていました。

 

本番の検査では、かなりヒドイ結果となりました。

元いた司令部の先輩らが検査官ですから、どうにか大目に見てもらえた箇所がありつつも・・・・・。悔しくて目に涙を溜めました。

分からない事を、そのまま放り続けていた事を、強烈に反省しました。

 

それからというもの、規則等真剣に勉強しました。

直の上司だけは、改編があろうとも正規な表記ができており、彼に改めて倣うようになりました。

 

次の年の検査では、本番前に他部隊の帳簿を検査し合うようになりました。年上の先輩だろうと、間違っている点は厳しく指摘し、根拠や改善案を分かりやすく伝えきれるように。その次の年の大規模な検査では、周囲の部隊すべてが、優秀な成果を収め終える事ができました。

 

司令部では、完全に使い物にならず、9カ月で追い出されてしまいました。検査官としての立振る舞いを見て、「あの吉永が・・・・・」と感動を与えたのと同時に、司令部に置き続けていたかったと悔やまれました(*^◯^*)

 

 

 

退職

 

隊の内外ともに、多くの信頼を得れました。他部隊にお茶を飲みに行っていた事も(=^・^=)定年まで続けようと考えていた自衛官を、まさか辞める事になろうとは、微塵も考えていませんでした。

 

私も今はそうですが、当時は「民間人」と自衛官以外の皆さんを表現してました。敷地を囲む柵が低くなったとは言え、まだまだ隔離された世界です。

人生について真剣に悩んでいた当時のご縁から、「自衛官は、私には天職とはなり得ない」と確信を持つようになりました。根拠は特にありませんでしたが、確信あり多くの反対を押し切りました。

 

やめてからは、まさに天国と地獄を味わったかのようでした。忙しく朝から落ち着く間もなく走り回っていたのに、一気にヒマになりました。明確な目標ややりたい仕事があってやめたわけじゃなく、退職金も減る一方・・・。

「なんて浅はかな事をしたのか!」と強烈に後悔しました。 


しかしもし10年勤めていようものなら、幹部への道がレールを敷かれていました。その時では、すでに手遅れだったんじゃないかと、今振り返って痛感しています。

 

それからというもの、世間の荒波にもまれまくり、今に至ります。

私は、天職に就けた喜びを噛みしめている」と実感しており、その喜びを多くの皆さんに味わっていただきたい!と魂を燃やしています。

 

恩師の名言「縫い始めれば、神様が糸を出してくれる

 

私たちが「責任を持つ!」と覚悟を決めるほどに、総括的な責任を負っている存在が、見えないだけでたくさんいるんだろうな・・・と感じてしまう今日この頃です^^;

 

 

明日も、喜びと感謝に満ち溢れたあなたでありますよう・・・・・。

 

 

 

 

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